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山形地方裁判所新庄支部 昭和42年(ワ)30号 判決 1972年9月19日

原告 伊藤恵

<ほか二名>

右原告ら三名訴訟代理人弁護士 津田晋介

被告 細矢寿一

右訴訟代理人弁護士 斎藤学二

主文

原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は原告ら各自に対しそれぞれ金四、〇六二、一九六円およびこれに対する昭和四一年一二月二九日より支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

原告ら訴訟代理人は、その請求の原因として、

「一、被告は肩書地において医院を開業している医師である。

二、訴外伊藤正見は、大正七年四月一六日生れで、新庄市役所衛生保健課に勤務する地方公務員であったが、胃が重苦しいので、昭和四一年一二月一日被告の診察を受け、更に同月九日胃カメラの撮影を受けたところ、同月一五日胃の一部を切除する必要があると告げられたので、同日被告に対し、胃の一部切除の手術と、術後の治療行為を施すことを依頼し、被告はこれを承諾した。したがって、ここに正見と被告との間で、右のような診療を内容とする準委任契約が締結された。

三、そこで、被告は、右契約に基づき、同月一九日正見の胃の一部を切除する手術を行ない、その後の経過は良好であったところ、約一週間後の同月二六日夜から正見は吐き気を催し、それがようやく治った同月二七日夜から腹痛が生じ、その後腹痛が益々激しくなって、同月二九日午前一〇時三〇分頃、正見は遂に死亡するに至った。

四、正見の死亡と本件手術後の被告の治療行為との間には相当因果関係がある。

五、正見の死亡により、本件準委任契約に基づく被告の債務は履行不能に終わった。

六、正見が死亡したため、原告らが取得した被告に対する損害賠償請求権は、つぎのとおりである。

(一) 正見は死亡当時満四八才で、厚生省作成の平均余命表によれば、あと二三・二年の余命があり、満七二才まで生存することが可能であった。したがって、正見は退職勧奨がなされる満五八才までの一〇年間勤続することができたはずである。正見は死亡当時一ヵ月金五五、〇〇〇円の給料を得ていたものであるから、一〇年間における給料、賞与、および退職金の総額は左のとおりである。

昭和四二年 金  九三五、〇〇〇円

四三年 金  九六七、三〇〇円

四四年 金  九八九、四〇〇円

四五年 金一、〇一一、五〇〇円

四六年 金一、〇二八、五〇〇円

四七年 金一、〇四五、五〇〇円

四八年 金一、〇六二、五〇〇円

四九年 金一、〇七九、五〇〇円

五〇年 金一、〇九六、五〇〇円

五一年 金一、一一三、五〇〇円

退職金   金三、一二四、三五〇円

計    金一三、四五三、五五〇円

正見の生活費は、多くとも一ヵ月金一五、〇〇〇円を超えることはなかったから、年間金一八〇、〇〇〇円であり、一〇年間では金一、八〇〇、〇〇〇円となる。したがって、正見の得べかりし利益は、年毎のホフマン復式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると、金一〇、二三四、四四一円となり、これから一〇年間の生活費金一、八〇〇、〇〇〇円を差し引くと金八、四三四、四四一円となり、更にこれから既に支給を受けた退職金一、二四七、八五〇円を差し引くと金七、一八六、五九一円となる。正見は死亡によりこれを喪失したので、被告に対し右と同額の損害賠償請求権を取得した。

(二) 正見は、死亡当時勤続二〇年で、ようやく生活も安定し、これから子供の成長を楽しみつつ充実した生活をなし得る状態にあったところ、本件死亡により多大の精神的苦痛を受けた。その慰藉料は金二、〇〇〇、〇〇〇円を下らない。

(三) 原告恵、および原告恵子はいずれも亡正見の子、原告ヨソエは妻である。したがって、原告らはそれぞれ相続分に応じ、亡正見の被告に対する右損害賠償請求権を金三、〇六二、一九六円(正しくは金三、〇六二、一九七円)宛相続により取得した。

(四) 原告らは、一家の中心で唯一の働き手であった正見の死亡によりそれぞれ多大の精神的苦痛を受けた。したがって、その慰藉料は原告らそれぞれにつき各金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

七、仮に被告に債務不履行責任が認められないとしても、被告にはつぎに述べるような過失があり、正見は被告のこの不法行為により死亡したのである。

(一) 正見は一二月二六日夜から吐き気を催し、それがようやく治った同月二七日夜から腹痛を訴え、同月二八日午後八時頃より翌二九日午前三時過頃までの間は次第に痛みが激しさを加えるので、原告ヨソエは再度にわたり被告の妻や当直看護婦に容態の急変を告げ、被告の診察を求めたにもかかわらず、被告は来診せず、ただ無資格看護婦に命じてその都度注射をさせるのみであった。このため正見の容態が悪化し、同日午前九時頃他の看護婦がこれに気づき被告に急報した結果、被告はようやく正見を診察したが、時既に遅く、正見はその後間もなく死亡したのである。

(二) このように、手術後約一週間を経過した一二月二六日夜から吐き気を催し、二七日夜から腹痛を生じた時期において要注意の時期となったのであるから、二八日夜容態の急変を告げられたときに、被告としては直ちに正見の病床に赴き、綿密かつ周到な診察をなし、症状に適する治療を施すべき義務があったにも拘らず、被告はこれを怠り、診察を全くしないで無資格看護婦をして再度にわたり注射をさせるという暴挙をしたのである。被告のこの義務違反は医師法一九条、二〇条にも違反する違法な行為である。

八、よって、原告らは各自被告に対し、亡正見の得べかりし利益および慰藉料の相続分、および原告ら固有の慰藉料の合計金四、〇六二、一九六円宛、ならびにこれに対する正見の死亡の日である昭和四一年一二月二九日より支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を請求するため、本訴に及んだ。」

と述べ、被告の抗弁事実に対し、つぎのとおり述べた。

「否認する。

被告の過失の具体的な内容は、請求原因七において述べたところと同一である。」

被告訴訟代理人は、原告の請求原因事実に対する答弁として、

「一、請求原因一は認める。

二、同二のうち、正見が地方公務員であったこと、および被告が正見を診察した経過については認めるが、準委任契約の成立は争う。その余の事実は知らない。

三、同三のうち、一二月一九日に手術を行ない、その後の経過が良好であったこと、および正見が死亡したことは認めるが、同人の死亡の日時は同月二九日午前一一時一五分である。その余の事実は知らない。なお、正見の死因は胃潰瘍の手術後に併発した腸管麻痺である。

四、同四および五は争う。

五、同六は知らない。

六、同七は争う。」

と述べ、抗弁として、つぎのとおり述べた。

「亡正見に対する本件手術は成功であり、手術後の経過も良好であったことは、原告らも認めるところである。その後に起きた腸管麻痺に対しても、被告は一般医療の方法として欠くるところなく処置をしたと確信している。したがって、被告には何ら責められるべき過失がなかった。正見の死亡は全く不可抗力に基づくものである。」

≪証拠省略≫

理由

一、被告が新庄市万場町一番八号において医院を開業している医師であること、訴外伊藤正見は新庄市役所衛生保健課に勤務する地方公務員であったが、昭和四一年一二月一日被告の診察を受け、更に同月九日胃カメラの撮影を受けたところ、同月一五日被告より胃の一部を切除する必要があると告げられたこと、そこで正見は同月一九日被告の執刀の下に胃の一部を切除する手術を受け、その後の約一週間は経過が良好であったにもかかわらず、同月二九日死亡するに至ったことについては、いずれも当事者間に争いがない。

二、まず、本件診療契約の成否について判断する。

前示争いのない事実、および≪証拠省略≫によると、亡正見は、腹部に重圧感、膨満感を覚えたので、昭和四一年一二月一日被告の診察を受けて胃のX線透視撮影をしてもらい、更に同月九日胃カメラによる診察も受けたところ、同月一五日被告より胃潰瘍のため胃の一部を切除する必要があると告げられたので、同日被告方医院に入院し、同月一九日被告の執刀の下に胃の幽門部の三分の二を切除する手術を受けるとともに、その後死亡までの間、右手術後の症状に応じ被告の診療を受けていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右に認定した事実によると、亡正見は昭和四一年一二月一五日被告に対し胃の一部切除の手術と術後の治療行為を施すことを依頼する申込みをし、被告がこれを承諾したものと判断され、これによると、正見と被告との間で、右のような診療を内容とする準委任契約が成立したものと解するのが相当である。

三、しかるところ、正見が死亡したことにより、本件診療を目的とする準委任契約は履行不能に終わったといわなければならない。

四、そこで、他の点に関する判断をさて措き、被告に過失があったかどうかについて、検討する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、つぎのような事実が認められる。

(1)  正見の手術後の経過は良好で、手術後一週間目の昭和四一年一二月二六日に抜糸がなされたが、その日の昼頃に正見の部下二名が見舞いに訪れ、正見は同人らと四、五〇分間談笑をした。ところが、同日午後八時過頃正見は吐き気を催して嘔吐した。しかし、その内容物は茶腕一杯ぐらいの小量で黄色を呈していて、糞性や胆汁性のものではなく、胃液および腸液の一部と考えられるものであった。その後同月二七日は、吐き気が続いて少し嘔吐があり、腹部膨満感を訴えた外は大きな変化がなかったが、同日夜になって腹痛を訴えるようになった。翌二八日の回診時には腹痛と腹部膨満がみられ、自然排気がなくなっていて、腸管麻痺の疑いがでてきた。正見は、同月二六日の夕食までは食事をとったが、同月二七日は一日中食事をとらず、同月二八日も夕食を約四分の一食べただけであった。二八日の夕食後一時間ぐらいして、正見は腹痛を訴えるようになり、それが次第に強くなったので、同日午後一一時頃看病をしていた原告ヨソエが被告の妻に被告の診察を依頼したが、被告は診察をしないで、住込み看護婦の荒木千里に指示して注射をさせただけであった。ところが、翌二九日午前三時三〇分頃になっても痛みがとまらなかったので、原告ヨソエは右荒木に再度被告の診察を依頼したが、この時も被告は診察しないで、住込み看護婦の仁平多喜子に指示して注射をさせただけであった。その後、正見は尿意を催すのに排尿できないので、原告ヨソエは同月午前六時三〇分頃から再三にわたり看護婦に尿をとってくれるよう頼んでいたが、同日午前九時頃になって、看護婦の大場サクエが導尿をしてくれた。この時大場は正見がぐったりしているのを見て、外来患者の診察をしていた被告にこの旨を急報したので、被告は正見を診察し、直ちに補液や注射を命じたが、正見はすでにショック状態に陥っていて、同日午前一一時一五分腸管麻痺により遂に死亡するに至った。

(2)  右のような症状に対し、被告のとった処置はつぎのようなものである。同月二六日夜嘔吐があったので、鎮静を目的としてピラビタールを使用して経過をみることにした。同月二七日は腹痛があったので、鎮痛のためプスコパンを二回使用し、鎮静のためコントール錠を投与し、更に腸をした。同月二八日朝の回診時に自然排気のないことを確認したので、腸管麻痺と診断して、腸管の蠕動を亢進させるため、アリナミンF五〇ミリグラム、パントール五〇ミリグラムの注射をして経過を観察することにした。同日午後一一時頃腹痛が激しくなると、疼痛を緩和させるためオピアル(麻薬)を、またこれによる血圧降下を防ぐためビタカンを同時に使用した。翌二九日午前三時三〇分頃に腹痛が訴えられたときも、右と同様の処置をした。そして、同日午前九時頃正見の状態が悪化すると、ピタカン、テラプチクという強心剤を使用し、デカドロン(副腎皮質ホルモン)を投与しつつ、栄養補給のためグリコアルギンの補液を行なった。

なお、被告方医院に勤務していた看護婦はいずれも厚生大臣の免許を受けていない無資格者であった。

(3)  正見の腸管麻痺の原因は、発生後死亡までの経過に照らし、腸間膜静脈血栓症であったと推定される。

≪証拠判断省略≫

(二)  右に認定した事実を前提にして、正見が腸間膜静脈血栓症に基づく腸管麻痺により死亡したとした場合に、被告が、正見の症状に多少なりとも異変の認められた一二月二六日夜の嘔吐のときから同人が死亡するまでの間に、本件診療契約上の債務の本旨に従い、医師として果たすべき注意義務を尽したかどうかについて判断することとする。

≪証拠省略≫によると、つぎのような事実ないし判断が認められる。

(1)  腸間膜静脈血栓症という症患は、腹部内蔵の炎症または手術後に稀に発生するもので、腸管または腸間膜に対する機械的刺激や炎症性変化により、腸間膜静脈内に炎症性変化、血流の停滞、血液凝固性の亢進などが現れて血栓が生じ、この血栓が広範囲に他の静脈内に拡大したり、あるいは血栓の一部が門脈に流入して門脈閉塞を起こし、その結果かなり広範囲の腸管の血流が停止して、腸管が壊死するため起こるものであって、これが発症すると、壊死した腸管は運動機能を停止し、腹部膨満が現われるとともに、強い腹痛を伴って急激な経過を辿り、死に至るのが通例である。そして、このような腸間膜静脈血栓症が急性あるいは亜急性に発症した場合には、これを確実に診断することは容易でなく、また仮にこのような診断を下して開腹手術に踏み切り、壊死に陥っている腸管を広範囲に切除し得たとしても、救命率が甚だ低い。

(2)  右(一)(2)において認定した被告の医療処置は、腸管麻痺の原因を確認することが困難であった本件のような症例に対する対症的療法として適切を欠いていたとは考えられない。即ち、昭和四一年一二月二六日夜嘔吐があった際に、ピラビタールを使用しているのは鎮静を目的とするものであり、嘔吐は一過性のものとも考えられるので、特に処置をせずに経過を観察するのが通例である。同月二七日に腹部膨満感が現われ腹痛がみられたが、腸管麻痺とは断定できない段階であるので、経口的な食餌摂取を控えて腸したりなどしつつ経過を観察するのが常であり、腹痛に対して非麻薬性の鎮痛剤プスコパンを使用しているのも適切な処置である。同月二八日には腸管麻痺と診断されているが、その原因が明らかでない場合には、腸蠕動の亢進をはかるためアリナミン、パントールなどの薬剤の注射投与を行ないつつ経過観察するのが通例である。同日夜再び腹痛が現われ、午後一一時頃にはかなり激しい痛みとなっているので、このような激痛に対してはオピアル(麻薬)を投与するのもやむを得ない処置であり、麻薬による血圧降下が起こらないようビタカンが同時に投与されているのも適切な処置である。翌二九日午前三時三〇分頃にも激痛が現われているが、このような場合前夜効を奏したのと同じ薬剤を投与するのが普通である。同日午前九時頃正見はショック状態となっているが、ショック状態が発生した場合には、まず輸液路を確保しつつ補液を行ない、副腎皮質ホルモン(デカドロン)を投与し、これにより循環血漿量の増大、末梢血管の拡張等をはかりつつ、同時に強心剤(ビタカン、テラプチク)の投与を行なうのが通例であり、被告もこのような処置をとっている。

以上の事実ないし判断が認められ、右認定に反する証拠はない。

右(二)(1)において認定した事実から判断すれば、現在の医療水準を基準にする限り、被告が正見の症状を腸間膜静脈血栓症と診断し得ず、右症状に対し根治的療法をとることができないで、対症的療法に終始したことについて、医師として注意義務を欠いていたということはできず、また二(2)において認定したところによれば、被告のとった医療処置は原因不明の腸管麻痺に対する対症的療法としては適切な処置というべきであり、この点においても被告に医師として注意義務を欠いた点があるということはできない。

原告らは、一二月二八日夜半から翌二九日早朝にかけて再度にわたり被告の診察を求めたにもかかわらず、被告は来診せず、ただ無資格の看護婦に指示してその都度注射をさせたにすぎなかったという点に、被告の過失がある旨主張する。

確かに、原告ヨソエが夫正見の激痛に苦しむ姿を直視しかねて二回にわたり被告に来診を乞うたのに対し、被告が一度も病室に赴いて正見を診察しなかったことについて、同原告をはじめ正見の遺族らが被告の不親切を詰る感情を抱くのも十分理解できるところである。しかし、前示のとおり、被告は医師としての注意義務を尽しているのであるから、右の時刻に来診しなかった一事をとらえて、被告に法的な義務違反があるということはできない、

また、被告の使用していた看護婦四人は、前示のとおり、全員が厚生大臣の免許を受けていない無資格者であるが、本件においては、無資格者であったがために、同女らのなした補助的な医療処置に過誤が生じたという事実は認められないのであるから、無資格者を看護婦として使用していたという点に、被告の過失を認めることもできない。

なお、≪証拠省略≫の中には、被告や看護婦大場サクエが被告の過失を認めたかのような供述があるが、これらは前記認定と比較して抽象的にすぎ、措信することができない。

(三)  そうすると、正見が死亡したのは、被告の過失によるものではなく、全くの不可抗力に基づくものであったといわなければならない。したがって、本件準委任契約の債務不履行を前提とする原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五、原告らは、予備的に、被告の診療上の過失を前提とする不法行為を主張するけれども、四において判示したとおり、被告には診療上の過失が認められないから、不法行為を前提とする原告らの本訴請求もまた理由がない。

六、以上の次第で、原告らの被告に対する本訴請求は、いずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法九三条一項本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 喜多村治雄)

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